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福島県南土建工業株式会社
戦前から戦後
昭和12年初代小野亀二郎の死去に伴い、小野利勝が亀二郎を襲名。経営を担いますが、ほどなく戦争を迎えます。戦時の難局においては昭和16年に陸軍第2師団の命令を受け、白坂に騎兵部隊兵舎をわずか3週間で完成。昭和19年には県下初の組合病院となる白河厚生病院を完成させています。また昭和19年には企業統制令により西白河郡、東白川郡、石川郡の建設業者を統合し「福島県南土建工業株式会社」を設立。昭和24年に統合業者を解散し、複数の会社に独立するなか、当社は福島県南土建工業株式会社として再発足しました。二代目は白河商工会議所会頭、白河地区経営者協会長など歴任し、白河の発展にも力を注ぎました。
国立種牡緬羊育成所 全景
(昭和12年 第一期工事請負着手)
現在のJR東日本総合研修センター付近に
ありました。緬羊場では、羊を飼育し、
羊毛の生産を行っていたようです。
阿武隈川河川災害復旧工事
(昭和12年、昭和15年)
当時でも、阿武隈川の氾濫に悩まされていたことをうかがい知ることができます。
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