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福島県南土建工業株式会社
バブル崩壊から東日本大震災
昭和56年2月 小野利廣が代表取締役に就任。昭和57年には白河市のスポーツ施設の顔となる県営白河体育館を請負いました。その後迎えるバブル崩壊後の厳しい経営環境を三社合併(福島県南土建工業・共栄建設・小野組)にて乗り切りました。その際、社屋を白河市中田に移し現在の体制になりました。
平成23年3月東日本大震災発生時は、白河市葉ノ木平(土砂崩れ)にて夜を徹して人命救助にあたりました。
また、崖崩れの起きた白河羽鳥線の災害復旧工事では、通常であれば通行止めのうえ工事をするところ、地域の生活道路を守るため、片側通行を採用。昼夜を問わずの復旧工事にあたりました。
平成23年11月より代表取締役が(一社)福島県建設業協会長、(一社)福島県建設産業団体連合会長に就任。
震災復興の最前線で一刻も早い復興のために尽力しました。
令和元年5月に(一社)福島県建設業協会長を退任。
震災復興への功績が評価され、令和元年秋の叙勲にて、旭日小綬章を受章しました。
また、平成23年には白河市の新たな顔となる白河市立図書館を県南・三金特定建設工事共同企業体にて請負・完成。
子供たちや、市民の集う憩いの場となっています。
福島県営白河体育館
(現)白河中央体育館
白河羽鳥線 災害復旧工事
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